ヨーガスートラ 第4章 〜最後の悟り

  • 2014.05.03 Saturday
  • 22:51
第三章の続きです

いよいよ終局。未完の完


第4章 〜最後の悟り 輪廻転生から解放されるために

これらの神通力(シッディ)は下記のように授かる。
〜粟い棒僂鵑請厩圓里かげで、生まれながらに備わる
¬草の力や、マントラを唱えることで、トランス状態的に備わる
8支則に従い、ヨガの修行に励み(タパス)、悟りの段階(サマディ)に入ると生じる


輪廻転生は、この世界の(プラクリティ)の流れによって引き起こされる。
善悪の業(カルマ)は輪廻転生の根本原因ではない。

なぜならプラクリティとは、運河のように流れるものであるからだ。
運河の水がどこに流れるかは、農夫の働き次第であるように
行いによって水の流れる先、そして生まれ変わる先が決定しうる。

転生先によって、心の在り方、迷いは様々だが、すべては
アスミター(我想):主体と客体を混同してしまうこと
不確かなものを永遠と思い込むような勘違いから生じる。

心の現われ方は様々かもしれないが、心の支配者は唯一で変わることがない。

ヨガの修行で悟りを得れば、カルマ(行為)の応報から逃れることができる。

ヨーギーのカルマは、白(善)くもなく、黒(悪)くもない。
他者のカルマは、善か悪かそれらが混じり合ったものである。

カルマは、潜在意識に積み重ねられて行き、
現在の条件に合うものが、現世に現れて来る。
たとえ生まれ変わっても、時空を隔てても、縁が合えば現れる。

いくつもの運河が注ぎ込み続ける海に対して
運河の水がどこから海になるのか、始まりも終わりもないように
潜在意識の海にも同じようなことが言える。
http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki12.html
心のゆらぎ(波)がどの運河によるものかは定かではないし、始まりも定かではない。

潜在意識は、四つの要素で、構成されている。

第一の要素は、善因や悪因である、原因である(運河)
第二の要素は、善果や悪果である、結果である(農夫の働き)
第三の要素は、潜在意識の器である、心である(海)
第四の要素は、現れる条件となる、対象である(波)


四つの要素が無くなれば、潜在意識も無くなる。


もう起こってしまったことも、まだ起きていないことも
それ自体としては実在している。
過去であろうと未来であろうと、性質が異なるだけである。

顕在意識にあるものも、潜在意識にあるものも
すべてはグナの形態変化によるものである。
3つのグナ(自然界の性質)
 .廛薀ーシャ(目覚める)▲リヤー(進む)スティティ(止まる)
グナの形態変化
 〔楹个瓩なく未発達の段階
 ¬楹个瓩燭発育していない段階
 3菷に発達している段階
 せ澆泙訝奮
グナの性質(nature)によって、それらは現われたり、かすかであったりする。


みられるもののアイデンティティ(自己同一性)は、グナの形態変化のルールによって構成されている。

みられる対象は1つでも、映し出される心によってさまざまである。

みられる対象はどれか1つの心に依存されているのではない。
もしも依存していたら、それ以外の心に認識されなないものはどうなるのか?

心は、それ自体が対象に染まることで、認識をする仕組みなので
染まらなければ、知らない対象もでてくるのだが
心をみるもの(真我)はいつでも、心の働きを意識している。
心の主君である真我は、転変しないからである。

心は自分自身を理解することはできない。
他者の心を理解することもできない。
理解することができたとしたら、鏡合わせのような
無限にお互いを映し出し続け、記憶の混乱が生じるだろう。

純粋精神である真我は、自分から認識対象に関係したりはしないけれど
心が自分の姿を映し出すことで、それがアイデンティティとなる。

心は、心をみるもの主体と、心が映すもの客体の、
双方から染められることによって成立する複合構造である。

心は過去に蓄積された無数の残存印象を保有して多種多様であるが、
実は真我のために存在する、複合的な関係なのである。

真我(アートマン)と認識(ブッディ)の違いが分かると、
自己の存在に関する、様々な思いが無くなる。
そのとき、心は、独存の方に向かうようになる。


たとえ、このような、心の状態になっても、
まだ様々な過去のカルマが、心に入り込んでくる。
これらの行を止めるのは、先に述べた方法しかない。


ヨギーが修行で、プラサンキャーナ(深智)を得て
欲望や期待を抱かないと、法雲三昧(ダルマメガサマディ)となる。
あらゆるカルマも消滅する。

かくして、すべての欲望とカルマを消し去ってしまえば、
一切の知識は、ヴェールと汚れを取り除かれて無限になり、
更に知らないことがほとんどないかのごとく全知全能となる。

これによって、グナ(3つの性質)は使命を終え、変化のサイクルも終了する。
このサイクルは、刹那と刹那を繋げることであり、
この終局に至り、ようやく、そうだったのかと初めて把握される。

カイヴァリヤとは、性質(グナ)が
プルシャ(真我)のため、という動機をまったく失って、
逆の順序で自分の本源(真我)に戻っていくこと。
あるいは、純粋精神なる真我が、それ自体に安定することだ、といってもよい。
これが、真我の独存の状態(カイヴァリヤ)である。
 
JUGEMテーマ:広島 ヨガ



ヨガクラスでは自分の体に気づきの光を当てることが大切です。
それがなくては、暗闇で探し物をするようなもの
同様に自分の内側にも気づきの光を当てること。
変わらないものがあるとしたら、外ではなく内にある

2500年前も前から人はそれに気が付いていたのですね

ここまでお読みくださりありがとうございました

参考
カラダやわらぎココロやすらぐ「愛のヨーガ」倉本英雄著
http://www.nurs.or.jp/~academy/veda/yoga4.htm
http://samadhi.web.fc2.com/yogasutora.htm
 

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