ヨーガスートラ 第1章 〜心の波を乗り越える

  • 2014.04.25 Friday
  • 08:03
 
皆さんはヨーガスートラをご存知ですか?

ヨガはもともと過酷な世の中、限られた運命の中で
どう心やすらかに、自分にしかできない人生をまっとうするか
という哲学的なところからスタートしています
B.C 2500(今から約4500年前)にはじまったヨガのバラバラした教えをまとめたのが
ヨーガスートラ(B.C 2~ A.D 450)
実はもうすぐヨガ指導者養成講座が始まるのですが 
意外にネットにヨーガスートラのシンプルな訳が載っていないので
このたび載せることにしました。私自身が原文と突き合わせていない意訳ですが
古代の英知をお楽しみください。まずは第1章


第1章 三昧章(心の波を乗り越える章)

これから、ヨーガについて解説をしよう。
ヨーガとは、心の余計な働きを捨てることである。
心のざわつきが鎮まると、真我は、本当の自分の姿に止まる。

心の波がざわつくと、真我も乱れるが
心の波が鎮まると、真我はそれらから解放される。

心の作用には5種類ある。
\誼痢↓誤謬、J別、た臾押↓サ憶
これらそれぞれが、煩悩性と非煩悩性のものに分かれる。

\誼里箸蓮∋絢鑪燹
経験による知識、推理による知識、聖典に基づく知識。

誤謬とは、対象本来の姿に基づかない、間違った知識。

J別とは、言葉や概念上の知識で、主語次第で揺れ動く、その意味で客観性に欠ける判断。

た臾欧蓮虚空の体験。
 
サ憶とは、過去の経験から心が去っていないこと。


これらの波を乗り越える為には、 修習と離欲という、二つの方法が不可欠である。

修習とは、動いている心を止める努力である。 辛抱強くおこなうことで、必ず止まる。

離欲とは、心の波を引き起こす、あらゆる対象から、離れてしまうこと。
いわゆる悟りを開いた人の知恵であり、感情の起伏(三徳)にすら執着しない。


三昧とは、ヨーガのゴール「悟りを開くこと」で、2段階ある。

〕想三昧:尋・伺・楽・我想 の4段階を経て、得られる悟り
¬義杙伊罅Ц腓蠅世瓜弔辰討い訃態(神の領域)


出家した人は、生きている以外の点で無想三昧に限りなく近づくが、
その他の者(在家のヨガ行者)は、精進の結果、無想三昧に近づく

情熱があるほどに悟りへの道も短縮されるだろう。
情熱にも3程度あり(激・中・穏)それに応じて、無想三昧の完成は早い。


あるいは自分の中の信仰心を育てても(自在神祈念)、無想三昧に到達する。
自在神とは、煩悩や業に汚されていない、真我であり、あらゆるものを生み出す最高の種子(可能性)を持っている。

自在神は、時間を越えた、存在であるため、今も昔も変わることがない。
その至高神を、音で表した物が、AUMである。

AUMを唱えながら、自在神を念じなさい。
そうするならば、内観の力を得て、心のざわつきを乗り越えることができる。
 
心のざわつきとは
病、無気力、疑、放逸、怠惰、貪欲、執念、その他心が乱れた状態、三昧に止まれない状態のこと。

心が乱れ、曇るほどに、手足が震え、 呼吸が乱れ、苦悩や不満が噴き出して来る。
これを治すには、繰り返し、一つのものに思念を集中させる。

・慈悲喜捨の心を持って、他人の幸・不幸・善行・悪行に折り合いをつける
・呼吸法を行い、心を清澄にする
・感覚を制御する(眼の先に、心を集中させると、良き色が生じて、 耳の先に、心を集中させると、良き音が生じて、 鼻の先に、心を集中させると、良き香が生じて、 舌の先に、心を集中させると、良き味が生じて、 身の先に、心を集中させると、良き触が生じる。)
・静かに瞑想して白い光を帯びた意識を発現させ、純質性を高める
・心清らかな聖者を念じる
・夢で神に会い、目覚めてもそれを念じる
・好む物を念じる

以上のような方法で、心が動かなくなった者は、 神羅万象の境地を得る。

こうして、心の曇りが完全に消えたとき、
透明な宝石が、その傍らの花の色に染まるように、
心は、認識の対象か、 認識手段の器官か、認識主体の真我に定まり、それに染められる。
これが「定」とよばれるものである。

「定」には、
感覚の記憶が混じる粗雑な段階の〕尋定から¬疑卍
更には対象に縛られないM伺定ぬ技把蠅悗反爾泙辰討罎
「有種子三昧」へと昇華する。
〕尋定 ヴィタッカが残った
¬疑卍蝓▲凜タッカが消えた
M伺定、ヴィチャーラが残った
ぬ技把蝓▲凜チャーラが消えた

たとえば、鐘を鳴らすと、後まで響くよう
ヴィタッカ、尋とは、鐘を鳴らすことであり、
ヴィチャーラ、伺とは、後まで響くことである。
鐘を鳴らすという行為に依存せず、
更には鐘の音に依存せず、響きへ気づきのみへ意識を集中させる
無伺定を繰り返すと、内なる清澄が生じる。

その中から、直観智、プラジュニャーが生じる。

この直観智は、過去の歴史から学んだり、推論から得られる知恵とは一線を画すものである。

この修行は、他の修行を圧倒する。

そして、最後に、この修行も乗り越えたところに

己の中の可能性という枠組みを超越し、大いなる可能性そのものとなった

「無種子三昧」が出現する。


JUGEMテーマ:広島 ヨガ

ここまで読んでくださりありがとうございました〜
ほっと一息 ティーブレイク♪ 


参考
カラダやわらぎココロやすらぐ「愛のヨーガ」倉本英雄著
http://www.nurs.or.jp/~academy/veda/yoga1.htm
 

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