スポンサーサイト

  • 2018.11.27 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    続☆二重メタファーに打ち勝つ、ヨガスートラ

    • 2018.08.29 Wednesday
    • 20:01

     

    本日より、9月!

     

    長月は、夜が長くなる月だったり

     

    雨が長くなる月といわれていますが

     

    それにふさわしい☂ のスタートとなった広島です

     

    日照時間が短くなると、自律神経の切り替えがうまくいかず

     

    眠くなったり、身体がだるくなったりしますが

     

    暑さも和らぐので、季節に合わせて徐々に交感神経が目覚めてくる時です。

     

    などかはまなばん 読書の秋、実りの季節へのスタートダッシュしてゆきたいですね

     

    それでは、続きです

     

    この記事の趣旨は

     

    「騎士団長殺し」から着想を得た、ヨガスートラの解説です

     

    二重メタファーに打ち勝つ、ヨガスートラ

     

    ヨガとは映画である

     

    そうそう。ストレス解消。ワクワクするし、気分転換になるよね〜

    そうそう。リラックスするための休憩方法。毎週日曜は映画の日だった。癒やされるよ〜

    そうそう。デトックス。一人で見るもの、泣いちゃう、いつの間にかわだかまっていたものを一気にこう、ぶわーって

     

    「インド映画」の画像検索結果

     

    このように、「映画」というメタファーは

     

    人によって異なるであろう

     

    またその時々の記憶によっても変わってくるだろう

     

    イメージへのトリガーとなります

     

    とても複雑な解釈を呼び起こし

     

    自分では思いもよらなかったそれぞれの解釈が、学びになるかもしれません

     

    また脳は、巧みにつじつまを合わせようとする特徴が有るため

    つじつまを合わせたがる脳 (岩波科学ライブラリー) - 密林の図書室

     

    「そうそう」この4文字のキーワードでそのまま会話が成立してしまうのです


    ちなみにヨガは

     

    背景にあるサーンキヤ哲学を踏まえ

     

    よく、映画に例えられます
     

    この世は、映画を見ているような物

     

    スクリーンの映像に一喜一憂するが、客席の自分は何も変わることがない

     

    ヨガとは、その仕組みに気づくことである

     

    丁寧に解説すると、こうなるのですが

     

     

    ヨガをやったことがない人に対して、ふさわしいメタファーといえるのか?

     

    メタファーは、イデアを想起させるものでなくてはあらない

     

    「イデア」とは、現代の「アイデア」の元となる言葉ですが、

     

    本来は「見る」という動詞「idein」に由来し

     

    「見られるもの」=「ものごとの真の姿」「原型」になります

     

    騎士団長殺しでは、二重メタファーの落とし穴に引っかからないために

     

    猫をなでた時の手触りだったり

     

    お母さんの衣服の感触といった確かな実感や

     

    恋人への愛を想起するといった普遍的な価値を手がかりにしてゆきます

     

    プラトンの哲学が背景にあるといえるでしょう

     

    「徳とは何か?」という問いがある。これについて「不知なる対象の探求は不可能だ」と説く立場(探求のパラドックス説)もあるが、これに対してプラトンは「学習は想起(アナムネーシス)である」との想起説によって、このパラドックス説を斥ける。想起説は、魂は不死だとする説と、輪廻転生の説と連関がある。

    プラトンは次のように説明する。

    我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる。

    つまり、真の認識とは「想起」(アナムネーシス)にほかならない、と言うのである。

    想起説が導入されることでプラトンの哲学は、劇的な展開をとげ、強固な二元論の立場となった。そしてphilosophia(=愛知)とは「死の練習」なのであり、真の philosopher(愛知者)は、できるかぎりその魂を身体から分離開放し、魂が純粋に魂自体においてあるように努力する者だとした。この愛知者の魂の知の対象が「イデア」である。

    イデアは、それぞれの存在が「何であるか」ということに比較して、「まさにそれであるところのそのもの」を意味する。

     

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2

     

    ↑ かいつまんで要約すると

     

    Q.目に見えないものを証明することはできないのではないか?

     

    A.イデア(原型)は普遍的価値である

     

    です

     

     


     

     

    JUGEMテーマ:広島 ヨガ

    スポンサーサイト

    • 2018.11.27 Tuesday
    • 20:01
    • 0
      • -
      • -
      • -
      コメント
      コメントする








          
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック

      PR

      calendar

      S M T W T F S
        12345
      6789101112
      13141516171819
      20212223242526
      2728293031  
      << January 2019 >>

      おすすめアイテム

      103 Instagram (*^-^*)

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      recent trackback

      links

      profile

      search this site.

      others

      mobile

      qrcode

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM